リーガロイヤルホテル
2008年 07月 13日
戦前、大阪に国際的・近代的ホテルを求める財界の声があがり、1932年に大阪市と住友合資会社を中心とする大阪財界の有力者が協力して新大阪ホテルという名称で設立することになった。はじめ帝国ホテル社長犬丸徹三も参画し、大阪市土木部に臨時ホテル建設事務所を設け、京都帝国大学教授武田五一にその主幹を委嘱して基礎工事を進めていたが、事情があって改めて長谷部竹腰建築事務所がこれを引き受けることになった。竹腰健造は、これについて大阪市土木部臨時ホテル建築事務所副主幹を委嘱せられた。竹腰は犬丸と打ち合わせて内部プランを全面的に改め、外観は長谷部鋭吉がルネッサンス式に変更した。この新大阪ホテルは1935年に中之島のダイビル近く(現:住友中之島ビル)に開業した(この名称は、かつて、現在の大阪市立東洋陶磁美術館の場所に「大阪ホテル」があったのと区別するため。当時未開業であった新大阪駅とは無関係)。新大阪ホテルはロイヤルホテル完成後の1973年まで営業していた。
1958年には「大阪グランドホテル」を開業、1965年には現在地に「大阪ロイヤルホテル」を開業し、後に「ロイヤルホテル」に改称した。1990年、グループ名をロイヤルホテルからリーガロイヤルホテルグループに改称、ロイヤルホテルも「リーガロイヤルホテル」に改称した。
2006年、森トラストへ第三者割当増資を行い、従前の筆頭株主のアサヒビールに代わり森トラストが40%の大株主となる事になる。因みにそれ以前は住友グループといえる状態であった。その為、住友の企業城下町である新居浜市にも出店している。
2006年7月、ロイヤルホテルは唯一海外展開していた、オーストラリアのケアンズ・コロニアルリゾートを地元資本に同年9月までに売却することを決定し、海外より撤退した。
2008年6月、ホテルオークラとともにマーケティング業務などを手掛ける共同出資会社としてオレンジマーケティングサービスジャパン設立。
現在は900室以上あるマンモスホテルです。 70点
by japanhotel | 2008-07-13 23:38